タミヤ 1/48 飛燕一型丁 〜その9〜 最終回 飛燕完成ス。
2021年10月12日、飛燕完成ス。
今までご覧いただきありがとうございました。
無事、完成することができました。
今回のプラモでは新たに得た知識、技術をふんだんに活用し満足いく仕上げになりました。
満足いく反面、技量不足だったと感じられる点は多々あったので、次に作るプラモデルでは改善できるよう努めたいと存じます。
さすがタミヤ様のキットだとつくづく思いました。
精度はもちろんですが、作りやすいようにと様々な工夫がなされており感服しきりでございます。
完成写真のみでは短すぎるので飛燕の紹介をしたいなと思います!笑
キ61 三式戦/飛燕
1943年に大日本帝國陸軍にて正式採用された高速戦闘機である。
川崎航空機にて開発、製造された戦闘機で設計主務者は土井武夫技師である。
1940年に重戦キ60と軽戦キ61の試作を川崎航空機に指示した。
↑キ60
キ61の開発はキ60の開発完了後であった。
当時は軽戦至上主義の脱却が世界で行われており、陸軍としてもノモンハン事件の経験から脱却を考えていたが軽戦もそれなりに活躍している上に搭乗員は軽戦を好んでおり、重戦は必須だが軽戦も捨てがたいという状態であった。
↑ノモンハン事件で活躍した九七式戦闘機
そんな陸軍の迷いから土井技師は結論が出るまで開発を伸ばしていた。
設計では重戦並みの速度と火力を有し、軽戦並みの機動力を有した万能機(中戦)として開発された。
開発/設計
主翼はアスペクト比7.2であり、同期の飛行機ではかなり高い。
風防は日本では珍しくファストバック式となっている。空戦では視界が狭まるため好まれないがファストバック式にすることで空気抵抗が減り、より速度が出せるようになった。
エンジン
キ61の最大の特徴は液冷エンジンである。エンジンはドイツのダイムラー・ベンツ社のDB601エンジンをライセンス生産したハ40エンジンである。
1000馬力級で燃料噴射装置を採用するなど先進的な機構を備えたエンジンだ。
採用
キ61の初飛行は1941年12月であり、操縦性、速度、機動力共に優れており陸軍を歓喜させた。
1943年に正式採用され三式戦闘機/飛燕と名付けられた。
実戦投入
実戦投入は1943年4月にラバウルに進出した。
が目的地へ飛行中、コンパスが狂ったことに気づいた上にエンジントラブルが重なり、たどり着いた機体は極めて少なかった。
ニューギニアにも進出し、敵戦闘機、大型爆撃機の迎撃にあたった。
ここで足を引っ張ったのはエンジンであった。
生産時点で加工技術が足りておらず、100基作って95基が故障という有様だった。
そんなエンジンを部品も少なく満足に整備できない戦場であるため稼働率は低かった。
キ61-Ⅰ甲 飛燕一型甲
最初の量産型、一型甲では12.7mmと7.7mmをそれぞれ2挺搭載した計4挺であった。(初期構想は12.7mm4挺だったが生産遅延のため7.7mmで穴埋め)
頑丈な米軍機では満足いく打撃が与えれず、対爆撃機には効果が薄かった。
キ61-Ⅰ乙 飛燕一型乙
一型乙では初期構想であった12.7mm4挺を搭載したがそれでも火力不足は否めなかった。
一型乙から生産性向上のため、固定式の尾輪となった。
キ61-Ⅰ丙 飛燕一型丙
一型丙ではドイツから輸入したMG151(20mm)を主翼内に搭載した。MG151は世界的に優秀な20mm機関砲であったためかなりの威力であった。
が丙型の開発は1944年であったため、両国とも戦況が戦況であったため輸入が満足にできず製造数は少なかった。そのため優秀なパイロット、火力が必要な対爆撃機部隊に重宝された。
キ61-Ⅰ丁 飛燕一型丁
一型丁では1944年にようやく実用化に至った国産20mm機関砲(ホ-5)を搭載した型である。
命中率を向上させるため機首に搭載することとなった。そのため20cm延長と機首上面外板を厚いものに変更などなど改良を行った。
当初はキ61-Ⅰ改であったが、のちにキ61-Ⅰ丁となった。
一型丁では本土防空の任で活躍し、敵大型爆撃機(B-29)の迎撃に使用され戦果を挙げた。
キ61-Ⅱ改 飛燕二型
のちにハ40の改良型であるハ140を搭載したキ61-Ⅱ改/飛燕二型が存在する。がハ40より複雑なハ140であったため稼働率はハ40以下であった。
↑ハ140エンジン
だがエンジンが感調であれば良好な性能であったと言われているが1945年7月に生産は完全に打ち切られた。
キ100(愛称:五式戦闘機)
飛燕のエンジン問題を解消すべく開発された機体。
飛燕の胴体に空冷エンジンを搭載する案は初期から存在していたが、ドイツも巻き込み、莫大な投資をした陸軍に空冷エンジンを搭載した方がいいと申すのは気が引けるとのことにより保留の計画であった。が戦況悪化と飛行機需要の増加、飛燕のエンジン生産遅延が重なり開発が開始された。
飛燕二型の胴体に金星六二型を搭載した。
終戦間際に実戦投入されたので、戦った期間は短いが戦果を挙げている。
視界を向上させるため涙滴型へとなっている。初期では飛燕二型の胴体そのままのファストバック式も存在する。キ100-Ⅰ甲はファストバック式、キ100-Ⅰ乙は涙滴型とする説が存在する。
最後に
こうして飛燕は大戦を戦い抜いた。初期は少数生産の名を受け製造されていたが大戦での機体需要が高まったことにより3000機以上も製造された。
稼働率こそ低かったものの、対爆撃機では重宝され本土防空の任で活躍した。
次回作る機体は特に決まっておりません。笑
(作りたいものが多すぎて選べれない)
初の試みで戦艦や機関車を作ってみたいと考えておりますが、最近プラモデルにあてれる時間がないので一時的にプラモデルは休止します。
必ずや再開しますので気軽にお待ちくださいませ。
それではありがとうございました!!